これまで日本では、少なくとも公式には、大学での軍事研究(武器・防衛装備品の開発、またはそれへの転用を目的とした研究)は行なわれてきませんでした。日本の科学者・研究者らによって構成される日本学術会議も「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない」ことを決意し繰り返し声明を発してきました。ところが、先の大戦以降堅持されてきた大学での軍事研究禁止の方針が、ここ数年の政府や経済界が主導する政策によって根幹から揺るがされようとしています。2014年4月の武器輸出の解禁に始まり、2014年7月には集団的自衛権行使容認が閣議決定され、2015年9月には日本経済団体連合会が、大学に「安全保障に貢献する研究開発に積極的に取組むこと」を求める内容を盛り込んだ、「防衛産業政策に向けた提言」を発表しました。そして防衛省は2015年度に「安全保障技術研究推進制度」を創設し、採択した大学等研究機関への研究資金支給を始めています。その予算は、2015年度は3億円、2016年度は6億円でしたが、2017年度には前年度の18倍にあたる110億円が組まれており、今後いっそう拡大してゆくことが予想されます。このように「軍学共同」推進の動きが高まるなか、日本学術会議は安全保障と学術に関する検討委員会を立ち上げ、審議経過の中間とりまとめや声明(案)等では大学における軍事研究に消極的な見解を出しています。複数の国立大学は、大学として「軍事への寄与を目的とする」研究を行なわないとする方針を確認しています。私立大学でも、関西大学や法政大学をはじめこの研究推進制度への応募を認めないことを公表する大学が出てきています。

 これに対し、慶應義塾はこの問題に対する明確な見解をいまだ打ち出していません。

 慶應義塾は、創立以来、産業界、官界、および他の大学や学術研究機関との連携活動を推進してきました。「慶應義塾利益相反マネジメント・ポリシー」においては、「近年、多様な産官学連携活動の成果が社会の発展のために一段と求められる中で、義塾はこれに積極的に応え、産官学連携活動をさらに進めて行く必要がある」としつつ、「産官学連携活動の透明性を確保する」こと、「社会への説明責任を義塾が負うことを明確にする」ことが必要と定めています。しかし、この「慶應義塾利益相反マネジメント・ポリシー」には、軍事への寄与を目的とするないし転用可能な研究に関する文言はありません。

 他方で、慶應義塾にはすでに「研究倫理要綱」があり、「研究に従事する者は、従前にも増して、自らの研究活動がその諸過程において、社会・生命・環境に対し直接間接に及ぼす影響の大きさを改めて認識する必要がある」こと、「研究成果が人類や社会の発展に寄与するように努めなければならない」こと、「人類や社会の安全と自然環境の保全に努めなければならない」ことを定めています。この研究倫理要綱は「義塾において研究に従事する方々の研究上の拠り所となる全塾的な規範」とされていますが、しかし、そこにも軍事に関わる規定が含まれておりません。

 実は、慶應義塾は1967年に、研究補助金を申請する場合には「研究が直接軍事目的に利用されるおそれのないもの」であるとする指針を定めてはいますが、この指針が歯止めとなったことはありません。たとえば理工学部では、2010年、2015年に、当該指針を参照するかたちで軍事防衛関連機関からの資金調達に関するガイドラインが定められましたが、そもそも軍事防衛関連機関からの資金提供を受けた研究が軍事利用される可能性を研究者の側から完全に否定することはできず、このガイドラインの策定自体が67年の指針に沿わないものといえます(その後、理工学部はこれまでの運用を再考する方針を示しました。ただし、義塾全体では依然として同様の方針は出されておりません)。ここで改めて義塾全体で67年の指針の精神を確認し、それに基づいて軍事関連の研究資金を受け入れないという合意形成を構築する必要があります。

 このような情勢を受け、私たち教員有志は、「軍学共同」問題をめぐる広い議論の場、ひいては研究者として、大学人としての社会的責任を共に考える場をもつことが急務であると考え、慶應義塾大学軍学共同問題研究会を立ち上げました。国内各紙や『Science』誌で報道された1月14日の設立シンポジウムでは、デュアル・ユース論や研究者の自由といった観点から軍学共同を肯定する議論は説得力を有さないことが確認されました。いま問題となっているのは、軍事研究が民生利用される「スピン・オフ」ではなく、民生研究の成果が軍事目的に使われる「スピン・オン」です。また、研究の遂行や成果公開に対し出資元による干渉・管理の可能性のある研究資金は、通常の意味での競争的資金ではないでしょう。そうした認識なしに「軍学共同」を進めるならば、学問の自由と独立性はもとより科学に対する市民からの信頼までもが失われてしまいかねません。むしろ、研究自体が基礎研究であれ応用研究であれ、研究成果の影響が直接的であれ間接的であれ、自分自身の研究成果が想定外の破壊的な影響を及ぼすことも可能となった現代においては、研究に関わる者の倫理と責任がいっそう要求されるでしょう。研究が軍事目的に利用されるかどうかは、研究それ自体の性格や内容によってではなく、研究資金の出資元の性格に応じて判断することが必要です。

 私たちは、「独立自尊」を理念とし「ペンは剣よりも強し」をモットーとする慶應義塾こそが、時の政治や経済の潮流に流されず、「ペン」による教育と研究は「剣」に打ち勝つことができるとあくまで主張すべきであると考えます。

 以上に基づき、私たち教員有志は、慶應義塾に次のことを求めます。

一 本塾教職員が軍事・防衛関連組織からの研究資金に応募することを認めない旨の声明を出すこと

一 「慶應義塾研究倫理要綱」および「慶應義塾利益相反マネジメント・ポリシー」に、軍事的な手段による安全保障研究とみなされる可能性のある研究に関わる規定を盛り込むこと

一 日本学術会議での議論を踏まえ、軍事的な手段による安全保障研究とみなされる可能性のある研究の適切性・妥当性について、倫理的に審査する制度を塾内に設けること

以上

2017年3月
慶應義塾大学教員有志

呼びかけ人
朝吹 亮二(法学部・教授)

植田 浩史(経済学部・教授)
大串 尚代(文学部・教授)
大出 敦(法学部・教授)
大西 広(経済学部・教授)
岡原 正幸(文学部・教授)

小熊 英二(総合政策学部・教授)
小野 文(理工学部・准教授)
片山 杜秀(法学部・教授)
加藤 伸吾(経済学部・専任講師)
金子 勝(経済学部・教授)
工藤 多香子(経済学部・准教授)
粂川 麻里生(文学部・教授)
粂田 文(理工学部・専任講師)
境 一三(経済学部・教授)
酒井 規史(商学部・専任講師)
桜庭 ゆみ子(商学部・教授)
佐藤 元状(法学部・教授)
三瓶 愼一(法学部・教授)
塩原 良和(法学部・教授)
高桑 和巳(理工学部・准教授)
高山 緑(理工学部・教授)
巽 孝之(文学部・教授)
徳永 聡子(文学部・准教授)
渡名喜 庸哲(商学部・准教授)
長沖 暁子(経済学部・准教授)
成田 和信(商学部・教授)
難波 ちづる(経済学部・准教授)
西尾 宇広(商学部・専任講師)
萩原 能久(法学部・教授)
林田 愛(経済学部・准教授)
針貝 真理子(理工学部・非常勤講師)
福田 桃子(商学部・非常勤講師)
柳沢 遊(経済学部・教授)
山下 一夫(理工学部・准教授)
山道 佳子(文学部・教授)
横山 千晶(法学部・教授)
涌井 昌俊(医学部・専任講師)

声明文

Calamvs Gladio Fortior—ペンは剣よりも強し
慶應義塾図書館(旧館)の大ステンドグラスより(小川三知・作)

私たち慶應義塾大学軍学共同問題研究会(慶應軍学研究会)は、
慶應義塾大学教員を構成員とする研究会です。

研究会メンバーを中心とし、教員有志により以下の声明をまとめました。

 
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